こんにちは!
今日はコロンブスの墓碑についてのお話です。
コロンブスは生前だけではなく、
亡くなった後も長旅をしていました。
スペイン黄金時代の立役者
コロンブスの新大陸発見により
「太陽の沈まない帝国」といわしめるほどになるスペイン。
その出発地点
その出発地点となったのは
アンダルシア州ウエルバ県パロス港。
ここからサンタマリア号、ニーニャ号、
ピンタ号の3隻が大西洋に向かい出港しました。
大航海時代の中心地
アンダルシア州最大の街はセビリア。
大航海時代の中心地になります。
黄金時代を築くきっかけの立役者が、
コロンブスであり、
その功績はセビリア大聖堂に
墓碑があることからも計り知ることができます。
コロンブスの墓碑
世界でも3番目に大きな教会であり、
世界最大の祭壇画(金箔が贅沢に使用されている)
があることでも知られる大聖堂は世界遺産にも
登録されています。
その祭壇画を持つ主祭壇を正面にして、
その右側に件の墓碑があるのです。
クリストバル・コロン。
スペイン語でクリストファー・コロンブスのこと。
彼の棺は当時スペインを構成していた、
4つのキリスト教王国を象徴する人物によって
担がれています。
それぞれの国のシンボルをデザインした服を
身に着けています。
- レオン王国 - ライオン
- カスティーリャ王国 - 城
- ナバラ王国 - 鎖
- アラゴン王国 - 縞
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ここで、横道にそれる小話ですが、
画像の前方右手のレオン王国の人物の持つ
十字架のついた槍の先に注目してください。
槍が刺しているもの、
画像ではわかりづらいと思いますが、
「ザクロ」なのです。
ザクロはスペイン語で「グラナダ」
(小話の小話:グレナデン・シロップは
ザクロの果汁から作られるものですね!)
コロンブスが新大陸を発見したのが、1492年。
この同じ年に、最後のイスラム王国があった
グラナダを征服し、レコンキスタが完了しています。
つまり十字架がザクロを刺しているのは、この象徴なんですね。
1492年という年はスペイン史上とても重要なのです。
埋葬後も航海のわけ
さて、コロンブスは1506年にスペイン北部
バリャドリードで亡くなり、
遺体はセビリアのカルトゥーハ修道院に埋葬されました。
その後、遺族の手で中米ドミニカ共和国の
サントドミンゴ大聖堂に移されました。
これはコロンブスの生前からの希望だったという説と
遺族が希望して移した、など諸説あるようです。
しかしドミニカでは1795年
スペイン領からフランス領になり、
スペインは遺骨をキューバのハバナへ移します。
さらに1898年米西戦争がおこり、
セビリアに戻しています。
果たして遺骨は本物なのか?
ここで、ドミニカは1877年にサントドミンゴ大聖堂で
コロンブスの名が書かれた遺骨の箱が見つかっていて、
こちらが本物で、
スペインが持ち出したのは別人の遺骨と主張。
スペイン側もこちらが本物と反論。
そしてDNA鑑定に持ち込まれ、その結果
セビリアにある遺骨はコロンブスのものと認定されています。
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遺骨はほんの一部で数百グラムのみ。
一方ドミニカ側ではDNA鑑定を拒否しているため、
本物であるかどうかはわかっていません。
散骨したという説もあるそうですから、
もしかしたら本物なのかも。
コロンブスは亡くなった後、
こうして生前よりもはるかに長い航海を
することになったわけです。
大探検家コロンブス自身もまさかの展開ですよね。
いまではセビリアが安住の地です。
そして墓碑の4人の銅像と棺ですが、
これはスペインで作成し、キューバに贈ったもの。
しかし上述の通り、米西戦争により、
キューバがアメリカに占領されてしまったため、
セビリアに戻されています。
コロンブス自身のみならず、
4人の銅像を含む棺も大西洋を2度も渡った
ということになります。
ちなみに墓碑の台座は19世紀のものです。